13. 宗教と科学
資料確定:2026-01-11 23:19
事前学修
紙媒体の情報源やインターネット検索によって、宗教と科学の関係についての最近の事例をいくつか手元に記録しておく(簡単な内容のメモ程度でよい)。進化論、認知科学、…
事前学修のヒント
進化論を肯定する人/否定する人の対立(合衆国とか)
「信仰治療」が社会問題になるケースとか。
事後学修
授業で扱った人名や基本用語について、自力で簡潔な文での説明を書く(手が回らなかったら、リストアップだけでも)。
思い浮かばなかったところは調べて書けるようにしておく。
わからなかったものはノートなどに記録しておく。
(以上は、授業を聴きながらまとめられるようであれば、それでもいい。)
13.1. 宗教と科学の関係
近代のさまざまな学問が発展してくると、それまで社会で支配的、あるいは重要な位置を占めていた宗教伝統との間でさまざまな軋轢が生じた。
世界観の例をあげれば…
コスモロジーにおける宗教と科学
身体における宗教と科学...医療をめぐって
こころをめぐる宗教と科学
…などの諸側面を考えることができる。
13.2. キリスト教と進化論
ヨーロッパの学問における進化論の展開
ラマルク
生物の進化を体系化した最初の例
用不用説
獲得形質の遺伝による進化
チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)
(動画)
『種の起源』(1859):
「生物は原則として多産性で,そのために起こる生存競争の結果,環境により適応した変異個体が生存し,その変異を子孫に伝える。このため生物は次第に環境に適応した方向に向かって進化するという考え。」
進化論は生物に対する見方に大きな変革をもたらした(小柳義夫「進化論」『岩波キリスト教辞典』)。
生物に見られる合目的的現象を、人間をも含めて、目的論的にではなく、機械論的に理解する方向を示した。
進化の一般的概念は、世界の物事への歴史的な見方を促し、本質論的な考え方を批判する視点を示した。
社会思想への影響:社会的ダーウィニズム、社会進化論
その基本概念としての進化evolutionとは、物質の結集integrationすなわち連関coherenceの増大であり、「無規定な連関なき同質性」indefinite, incoherent homogeneityから「規定的な連関ある異質性」definite, coherent heterogeneityへと進化するということであり、彼は、進化の法則によって、生物、天体、社会などのすべてを総合的に理解しようとした。
南北戦争後のアメリカに受け入れられ、経済社会への国家の介入はできるだけ避けるべきであるとされた(小柳義夫「進化論」『岩波キリスト教辞典』)。
エルンスト・ヘッケル:
「個体発生は系統発生を短縮して繰り返す」:生物発生原則として
世界のすべては一元的なものの進化生成発展であるとする強力な一元論を提唱した(小柳「進化論」)。
生得的能力差と生存競争が人間社会の基本であるとした(同上)。
キリスト教の反応
これらの進化論は、いずれもキリスト教から、特にファンダメンタリズム(原理主義とも)の立場からは多くの反発を受けた。 現在でもアメリカのいくつかの州では、創世記の記述の通りに生物が創造されたとするいわゆる創造説の教育を認めさせる運動が進められている。
キリスト教と進化論を相容れないとする場合の批判点(小柳「進化論」)
1. 進化論は創世記1章の記述と矛盾する。
旧約聖書によれば、世界は紀元前約 4000年の6日間に、今のままの形で創造されたはずである。
2. 人間を世界の中心に位置づける聖書の視点に対して、進化論は人間も他の動物と同じ地平に見るため、人間の尊厳、自由、罪などをどう理解するかが問題となる。
聖書の世界観:「人類は動物界の他の存在とは異なり、かつその上に立つものである」(トーマス・ディクソン『科学と宗教』丸善、2013年)
「人間を「創造の頂点であり完成である」とみないで、「改良された猿」にすぎないと見る」進化論の主張は、「人間を卑しめるのみならず神を卑しめる主張」と評価された(同上)。
3. 生物が偶然と淘汰の積み重ねによって進化してきたとすれば、神の英知や計画は不要になってしまう。
4. 社会進化論は、適者生存の美名のもとの搾取や専横を正当化する。
それぞれについて、キリスト教内部からも反論がなされている。
ローマ・カトリック(ディクソン前掲書)
19世紀以来、進化論を公式に受容する立場を徐々に形成してきた。
ただし、個々人の魂は神の似姿のうちに創造され、物質的な進化の産物としてのみ説明することはできない、と付加する。
近年、もっとも目立つ宗教的反進化論は、プロテスタンティズムとイスラームのそれぞれから登場した(ディクソン前掲書)。
13.3. 創造科学とインテリジェント・デザイン
(この項で特に注記のない場合は、ディクソン前掲書に依拠している。)
13.3.1. 創造科学
経緯
20世紀半ば以降、連邦最高裁判所は、この「護持条項」の遵守、すわなち公教育の場における宗教的内容の禁止に積極的になっていった。
1970年代に、創造論の立場の人々は、教室で進化論と「創造科学」(人間と猿は別々の祖先をもつという説)の両方を教えるべきという法制化を進める戦略を展開した。 一部で法制化が実現したが、のちにほとんどが連邦レベルで否定され、1990年はじめには、聖書にもとづく反進化論に関わる諸法律は違憲と判断された。
アメリカにおける創造論と創造科学
(この項は、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』にもとづく)
アメリカでは、ダーウィン登場以後も一般大衆は進化論に非常に懐疑的だった。
19世紀後半から20世紀初頭にかけては、キリスト教の大きめの会派のなかにも原理主義(聖書にできる限り忠実であろうとする立場)の人たちがかなりおり、進化論より創造論のほうを信用していた。
1920年代に進化論反対の最初の波
20年代初頭にいくつかの州で、学校で進化論を教えることを禁じる法律が作られた。
1925年、スコープス裁判:スコープスはテネシー州法律に反して進化論を教え、結果有罪となった。 1960年代、公立学校への宗教的圧力は違憲と見なされるようになった。
原理主義の側は、科学としての装いもまとった創造科学(創造論の主張を科学的にサポートしようという考え方:聖書の物語の地質学的・生物学的部分を取り出して、その部分に対する「科学的な」証拠を提示しようという試み)を公立学校で教えさせようという運動を開始した。 拠点としての創造科学研究所(Institute for Creation Research ; ICR)の設立。
1981年、アーカンソー州議会で〈公立学校では、創造科学と進化科学を同程度に扱わなければならない〉とする法案が可決された。
直後に、この法令に対して、公立学校における宗教的信念の押しつけであり、政教分離を定める憲法に違反しているという提訴が諸団体の連名でなされた。
1982年に、法律は廃止された。
上記のアーカンソー州法と同様の内容であるルイジアナ州法は、1987年に最高裁で違憲判決がなされた。
以後、法制化の動きは止まったが、創造科学を学校で教える試みはなくなっていない(例えば各地の教育委員会レベルでの働きかけなど)。
創造科学運動は、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどにも広がっている。
13.3.2. インテリジェント・デザイン
ダーウィンの進化論に対して、生命や宇宙の複雑な構造には変異や自然選択では説明できない「知的意図」が介在したと主張する。:
アメリカ国内で近年台頭してきた理論で、学校教育への導入の是非をめぐり論争が続いている。
インテリジェント・デザインの導入を求める動き
インテリジェント・デザイン(知的設計論、略称:ID)は神の存在を棚上げして天地創造説とは一線を画すものである。
これを学校教育に導入しようという動きは活発である。
2005年8月、当時のブッシュ大統領はインタビューでインテリジェント・デザインを学校で教えることを容認する姿勢を示した。
2005年11月、カンザス州教育委員会が公立学校の生物の授業でインテリジェント・デザイン(知的設計論)にも触れられるようにするカリキュラム改訂案を採択した。
2005年12月、ペンシルベニア州のハリスバーグ連邦地裁は、インテリジェント・デザインは科学的理論ではなく宗教的見解であり、憲法の政教分離原則に違反するとして、同州ドーバー地区の公立学校で教えることを禁じる判決を下した。
現代アメリカの人々の〈進化〉に対する態度の状況
(例)2018年4月、PEW Research Centerによる調査の結果にもとづく解説(英語):リンク 人類は、
evolved over time(時間をかけて進化した)
existed in present form(はじめから現在の形で存在した)
回答は質問方法によってかわる、という話
グラフ
グレー:神は、いまの姿で人間を創造した。 40%
明るい緑:人間は神によって発達(発展)した。 33%
濃い緑:人間は神と関係なく発達(発展)した。 22%
https://content.gallup.com/origin/gallupinc/GallupSpaces/Production/Cms/POLL/8jmqabnbge6oni93jaml0a.png
13.4. 宗教のコスモロジーと近代科学:日本社会における
ヨーロッパにおける近代科学の成立と日本への影響
13.4.1. ヨーロッパの科学じたいの含んでいた宗教性(村上陽一郎、1991年)
〈地球ではなく、太陽こそ宇宙の中心にあって不動である〉という考え方に達した最初のきっかけは、学生時代にフィチーノの太陽論に接したこと。
太陽こそ神聖
神は天と地を創造した。地は空漠として、闇が混沌の海の面 にあり、神の 霊 がその水の面に働きかけていた。神は言った、「光あれ」。すると光があった。神は光を見て、よしとした。神は光と闇の 間を分けた。神は光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕となり、朝となった。〔第〕一日である。(『旧約聖書』「創世記」(旧約聖書翻訳委員会訳『旧約聖書 I 律法』岩波書店)、pp.3-4)
(中略)神は言った、「天の蒼穹〔=大空〕に輝くものがあって、昼と夜とを分 ひとしけるように。それはしるしとなって、季節と日と年とを刻むように。それらは天の蒼穹で輝くものとなって、地上を照らすように」。するとそうなった。神は大きな輝くも のを二つ、すなわち、昼を治めさせるための大きい輝きと夜を治めさせるための小さい輝きとを、また星を、造った。神は地上を照らすため、それらを天の蒼穹に据えた。昼と夜とを治めるため、また光と闇とを分けるためである。神は見て、よしとした。夕となり、朝となった。第四日である。(「創世記」、p.4)
太陽は、
〈神の世界の創造のための最も重要かつ初源的な《一者》〉として、
〈神の手に最も近い神聖なのもの〉として、理解された。
惑星の運動に関する三つの法則
1. 惑星の軌道は、太陽を一焦点とする楕円である。
2. 惑星と太陽を結ぶ動径が単位時間内に掃く面積は一定である。
3. 惑星と太陽の平均距離の3乗と公転周期の2乗との比は、どの惑星でも一定となる。 ...前提としての占星術的態度...新プラトン主義的な世界観に強く支配されていた。
13.4.2. 世界の地理的イメージと日本宗教
○ 日本の宗教は世界をどのように見てきたのか(応地『絵地図の世界像』参照)
三国世界観...天竺(インド)・震旦(中国)・日本。仏教の教義的理解と列島外の世界に対する実際の認識が関係づけられた結果として、遅くとも9世紀前半には成立。
三国世界観と「末法の辺土」としての日本...「五天竺図」(1364年書写)(日本最古の世界絵地図)から考える
仏教的世界観の古典『倶舎論』(5世紀にインドで成立)にもとづく。
仏教的世界観と三国世界観の融合 ・日本=「末法の辺土」:仏教の伝達経路(天竺→震旦→日本)と仏教流布の三段階論(正法→像法→末法)が重ねて理解される。
「五天竺図」1364年、法隆寺 (海野一隆『地図の文化史 世界と日本』八坂書房、1996年、p. 100) https://gyazo.com/190303259e75ed719d383649b217183a
三国世界観と中国の相対化...天竺から見れば中国も日本も同じく東の辺境。
神国思想 「大日本は神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝給ふ。我国のみ此事あり。異朝 には其たぐひなし。此故に神国と云ふ也」(北畠親房『神皇正統記』)...「本地垂迹説に基づけば、諸神は仏菩薩の化身であり、したがって、神国であることは仏国土[=仏の教えの行われている土地]の日本的特殊形態と把握されうる...」(伊藤聡「中世―習合する神々」〈井上順孝編『ワードマップ 神道』所収〉)
中世後期〜近世初頭
他方で、三国世界観が持続し、神国思想を密教イメージが彩る...大日本=「大日如来の本国」
○ 近世になって西洋科学の流入で、世界の見方はどのように変化したのか。
「大航海」時代...西洋的世界像との接触。
天竺を既知なる世界と未知なる世界の境界として認識することで、日本に新たに登場した異人(= ヨーロッパ人)を理解しようとする...三国世界観がほどけていく可能性
ヨーロッパの科学じたいの含んでいた宗教性(既述)
14.4.3. 日本の「伝統的」宇宙観
従来の宇宙観...中国由来が中心。主として以下のものがある。
https://gyazo.com/a4bbe939ebac0af17f8d03fd320db075
蓋天説:図(岡山理科大学天文部作成)
天円地方説。天は円で地は方、天は天中である北極を中心に旋回、地は静で一辺一万里の方形である。
https://gyazo.com/7286b6e9982abfb790bc68ec40cf5903
渾天説:図(岡山理科大学天文部作成)...天は球形をとして大地を包んでいる。
仏教の世界観=須弥山説:大地の中心に須弥山、周囲に八つの山とその間に一つづつ海がある。仏教・仏教者を中心に。
https://gyazo.com/0fcd17c0183ab167a0dd138e200a5201
定方晟『須弥山と極楽』講談社(講談社現代新書)、1973年
14.4.4. 国学者によるコスモロジー理解:近代科学をうけとめる
概要
本居宣長が『古事記』の読解から、世界の構造を考えた(『古事記伝』ほか)。
服部中庸が、宣長『古事記伝』にもとづき、西洋天文学との整合性を考えつつ図示した(『三大考』)。
平田篤胤が、中庸『三大考』をふまえつつ、修正を加えて図示した(『霊能真柱』)。
国学の世界像(本居宣長・服部中庸・平田篤胤)
『古事記』『日本書紀』の世界生成描写
『古事記』冒頭(現代語訳)
天地がはじめて天地となって動きはじめたときに、高天原になった神の名は、 天之御中主神。次に、高御産巣日神。次に神御産巣日神。この三柱の神は、み な独り神として身を隠した。次に、地上世界がわかく、水に浮かんでいる脂の ようで、水母のようにふわふわと漂っていたとき、葦が芽ふくように、きざし 伸びるものによってなった神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次に、天之常 立神。この二柱の神もまた、独り神として身を隠した。以上の五柱の神は、別 天つ神である。次に、なった神の名は、国之常立神。次に、豊雲野神。この二 柱の神もまた、独り神として身を隠した。...(後略)...(神野志『古事記』p.60)
『日本書紀』冒頭
昔、天と地がまだ分かれず、陰と陽とが分かれていなかったとき、渾沌として形の定まらないことは鶏卵の中身のごとくであり、自然の気がそのなかから起こって薄暗いなかにきざしを含むのであった。気が分かれて、陽気は軽く清らかで高く揚がって天となり、陰気は重く濁っていて滞って地となった。すなわち、清くこまやかなものはまとまりやすく、重く濁ったものはかたまりにくい。だから、天がまずなって、地が後に定まった。然る後に神がその天地のな かに生じた。(神野志『古事記』より引用)
(参考)巨人盤古と天地分離(中国の盤古神話)
まだ天も地もなかった大昔には、混沌たることは鶏の卵のようであった。そのうち、卵のなかで雛がかえるように、盤古がその中に生まれた。始めのうち、盤古は天地の塊りのなかに閉ぢこめられていたが、盤古が大きくなるにつれあきて、天と地が次第に離れるようになった。清く 陽 らかなものは天となり、濁って陰いものが地となった。盤古の背が日に一丈のびると、天の高さも一丈だけ増し、地の厚さも一丈ふえた。このようにして、一万八千年たって、天地は分れて現在のようになったのである。(呉の徐整『三五暦記』《大林編『世界の神話』より》)
○〈神話〉を「当代最新」の宇宙生成論とむすびつけて理解する。/〈神話〉のなかに死後の世界を〈発見〉する。
本居宣長「天地図」:『古事記』を読解して、世界が天地泉(黄泉)の三層からなることを導き出し図示する。
服部中庸『三大考』:宣長『古事記伝』をもとに、世界が天地泉の三層からなり、それぞれ太陽・ 地球・月にあたると考え、図解とともにそれらができる様子を説く。死後の霊魂の行く先として泉= 月をあてる。
平田篤胤『霊能真柱』:霊魂の行く先がこの世界のどこにあるか論じる。中庸『三大考』を一部修 正しながら天地泉ができる様子を説くが、霊魂はそのいずれにも行かず、この世にとどまるとした(た だし生者からは見えない世界)。 https://gyazo.com/8f7f31e0e78f84d16c055c51e187a963
国学者らは日本が他国に優越すると考え、その理由を宇宙論的にも考察した。
西洋科学を受容したように見えて、必ずしも根本的理解ではない。
本木良永はコペルニクス説の翻訳に際して、冒頭にあるキリスト教の天地創造説を抜かして翻訳。
志築忠雄はニュートンが運動の原因を神によるとしていたのを、易や儒学に求める。
これらの天文説を受容したときには運動の原因の説明が欠如。
14.4.5. 近世後期以降の仏教のコスモロジー
仏教の護法論(仏教天文学の擁護) ・圓通・佐田介石ら:視実二元論による須弥山説の擁護。
...天動説視実等象儀(1877年、内国博覧会で展示)・視実等象儀(国立科学博物館蔵)
https://scrapbox.io/files/677cb66b3e51041703292025.jpg https://i.pinimg.com/236x/19/c9/60/19c96095ee9b4f6579edac11fc860e5e--petri-dish-kumamoto.jpg
14.5. 人体の見方の変容:解剖学的知識の流入とその影響
服部範忠述『内景図説』(九州大学附属図書館医学分館蔵)
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/igaku/exhibitions/2007/exhib20070510.files/image088.jpg
漢方医の視線...非解剖的。
漢方の絵は外の皮膚部分を一本の線で輪郭すると、内部を描く。重要と思うものは遺漏なく描きこもうとするが、何がどこに位置するかということはたいした問題ではない。身体とは五臓 六腑を入れた一個の袋なのだ。それを全体として考える漢方医にとって、諸臓器の形、大きさ、相互の位置関係など、つまりそれらの視覚的に言って大事なデータの一切がほとんどどうでもいい扱いになっている。(タイモン・スクリーチ『江戸の身体を開く』)
蘭学:身体を切り開く視線。解剖図の流入。日本人による解剖もさかんになる。
『解体新書』
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya03/ya03_01060/ya03_01060_0001/ya03_01060_0001_p0029.jpg
解剖学的身体イメージと「伝統」的思考:霊魂と脳の微妙な関係...霊魂の居場所
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya03/ya03_01060/ya03_01060_0001/ya03_01060_0001_p0020.jpg
『解体新書』
六人部是香『顕幽順考論』(幕末期成立と推定される)
男子の精液は、精神府となりて、其の分布し賜ふ精神に、荒魂和魂神を副て賦与し賜ふ、三神霊を偶し...女子の精液は造化府と成りて、造化の神等を賦与し給ふを、此の神等の偶坐す活発の勢ひに発動せられて、其の受胎すべき一個の卵発起活動して、子宮に旋転し、遂に胎を成すに到りては、精神府よりは、其の生活の機会を幸い給ひ、造化府よりは、其の成造の徳化を施し賜ひて、胎児を成育せしめ給ふを、産須那神は其の受胎すべき創めより分娩したるの後、顕世に在り経る間は更なり...歿後魂の鎮定に至るまで、百事に就きて守護し給へり、されば一身中には偶り坐されども、取り別き生産の上は、専ら産須那神の供福によりて、受胎するものなれば...かくてその精神府造化府といふは、何処ぞといふに、まづ精神の本府は、頭脳の内部、前脳の中に大空竅〈くうきょう〉一個小空竅二個ありて、其小空竅は大空竅の側に並ひて、倶に大空竅に貫通せる孔あり、...また別に引離れて後、脳中に小空竅一つあり...此大空竅則精神府にして、小空竅二つは、荒魂府和魂府にして、精神の脇府なり、二た魂恆に此府に偶り坐して、共に精神を相扶け、前脳をして霊液...を製造せしめ、これを其各部に伝へて、視聴臭味を知覚し、一身中の屈伸動揺を自在ならしめ、痛痒寒暖を触知し、事に当りて七情を動かし、千思万慮を廻らし、総て一身中の主宰として、万機を掌り坐す、...
今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは最近大きにすたりまして、 あまり寄席でいたす者もございません、と申すものは、幽霊というものはない、全く神 経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさることでございます。それゆえに久しくすたっておりましたが、今日になってみると、かえって古めかし い方が、耳新しいように思われます。これはもとより信じてお聞きあそばすことではございませんから、あるいは流違いの怪談ばなしがよかろうというお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国羽生村と申す処の、累の後日のお話でございまするが、これは幽霊が引き続いて出まする、意味のわるいお話でございます。なれども是は その昔、幽霊というものがあると私どもも存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おお怖い、変な物、ありゃあ幽霊じゃないかと驚きましたが、ただ今では幽霊がないものと諦めましたから、とんと怖いことはございません。狐にばかされるということはあるわけのものでないから、神経病、また天狗にさらわれるということもないからやっぱり神経病と申して、何でも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、 現在開けたえらい方で、幽霊は必ずないものと定めても、鼻の先へ怪しいものがでれば アッといって尻餅をつくのは、やっぱり神経がちと怪しいのでございましょう。...[表記は現代仮名遣いに変更してある]
病気感覚の変容:器官の機能不全として理解される。
人の魂というものは、頭脳にあるという説が面白い説で、古来胸にあるものとおもうて居る 故、胸にある様に思わるゝのじゃが、頭脳にあるという説を聞くと、いかさまそうかとおもわ れる。」(加藤祐一『文明開化』1874年、川村『幻視する近代空間』より再引用)
ある種の状態・症状、これまで「気がふれる」とか「気の病い」「乱心」と称されていた状 態・症状に対して、「神経病」や「脳病」ということばがあてはめられ、イメージが形づくら れていったのである。そして、このプロセスは逆転されることになる。「神経病」や「脳病」 ということばがある種の状態に貼りつけられ、そのことば自体が実体化され、ひとり歩きする ようになる。知覚がことばに沿って自律する、いわば<モノ>化される。したがって、「神経病」や「脳病」は、神経や脳の障害として知覚され、その箇所が病み、痛むことになるのである。」(川村邦光『幻視する近代空間』)